クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

今日は天空の城をちゃんと見てみようか

盆休みに入った。

プライベートでいろいろあったり、仕事面もちょっと今停滞気味である。

ぶっちゃけると、今、身につけてた知識などを活かせる部署に行けるチャンスはなく、かといって大した権限も与えられず、それで周りに置いていかれているのをひしひしと感じる。

じゃあ、どうすればいいのか。虚無感に心が浸食されていく感覚。

 

転職サイトに登録しておかなくては、と思いつつゲームに現を抜かしている。

いかんいかん、今の職場で、この先何が起こっても生きていけるように準備しておかなければな。

これは、逃げなのか?

今まで世話になった組織に対する逃げなのか?

この考え方が昭和の亡霊なのか?

それとも「サラリーマンはこんなもんだよ」と割り切れない自分が幼い?

この先、芽の出ない環境に身を置き続けて身動きできなくなることのほうがよっぽどリスクなのでは?

もちろん、今の環境は非常に恵まれているのも充分承知している。

 

ああ、生きてみないと正解はわからないな…。

 

ゲームを始めてからDiscordもちょくちょく触っている、便利だ。

いつか、パートナーが出来たら大会にも出てみたい。

そういえば夏休みのせいか、ゲーム内でマナー違反(厳密には禁止されているわけではなく、プレイヤーの良心に委ねられていること)に遭遇する。

夏ですなあ。令和の時代の子供達は誘惑が多くて大変だ。

 

「天空の城」が放送されてる。

この監督の作品の中では一番好きな作品。

もう何年もしっかり見ていない。

 

今日はちゃんと見てみようか。

 

はてなPRO更新しようかしまいか

テレビニュースはほとんど見ない。

ネットニュースとLINEの通知でくるニュースを少し見る程度。

プライベートでゴタゴタしている間、自然災害が発生していた。

これはえげつない…。

数年前のことを思い出す。

自然の力ばかりは、人間にはどうにもできないな。

 

はてなPROの更新時期が近づいてきている。

更新しようかしまいか。

気が向いたら更新してみよう。

趣味で始めたこのブログ、なんだかんだ言いつつ続いている。

不思議な縁でもある。

このブログを始めなかったら、WordPressに挑戦することはなかったと思う。

 

さてさて、転職サイトに登録でもしてみようかしらん。

 

写真、撮りにいけてないな。

今度の休日はカメラをもって外出してみようか。

 

熱さに気持ちが折れなければね。

 

寝る。

 

転換期が来てる

転換期が来てる。

仕事も生活も。

仮に転職活動するとしたら、しんどいだろうなー、どうなんだろうなー、いや絶対しんどいな。

同業他社か、近い職種か、未経験の他業種か(これは仮に務めることができても地獄をみるパターン)。

人に雇われることしか頭に浮かばないところが、サラリーマン根性が染みついてる。

自営業って柄でも、ない。

今まで何をやってきたのかが問われる。

サラリーマンにそんなものがあるのかは疑問だけど。

 

この2つの本で、気分を紛らわしている。

この本の著者たちレベルのストイックさには到底及ばないけど、言葉に力をもらってる。

 

 

 

 

はあ、数年前までは、うっすらと想像できていたけど実際転換期がくるとは、人生はわからいものですね。

 

そんで、そんな中でも大人の動画を欲する自分もいる。

ゲームの大会の動画もつい見てしまう。

どうしようもないな、自分。

 

それでも明日は来る。

眠れない夜が増えるかもしれん。

まあ、これもひとつの人生、なのかな。

 

渇と克つと活が足りない

30代。職場での立ち位置や40代になってからのことを考えたとき、焦らないといけない時期なのに、心の奥底では真剣にはなっていない。

(今までの積み重ねが現在を形作っているから、今から踏ん張ったって遅いこともあるとはわかっているけどさ)

どこかで「まあ、なんとかなるか」と希望的観測をしている。

はあ、まずい…。

以前、youtubeで「本当のブラック企業は」みたいな動画があったのを思い出した。

 

人間関係は悪くない、仕事の負荷はそこそこ。厳しい上司もいない。

そんな環境で従業員を「生かさず殺さず」にして、時間だけは確実に流れ「気付いたらもう身動きができない状態」にする、という内容(ニュアンス)。

これもある意味、確信を付いているよね。

 

スマホなどに保存した、自分を鼓舞する画像を見てテンションを無理矢理あげている。

(励まし合う友人も恋人もいないので)

仕事が終わってからゲームするのも良くないとわかっていてもついプレイしてしまう。

…昔は、仕事終わりにパチ●コなどにいっている人をよく思っていなかったけど、客観的に見たらゲーム三昧の自分だってなかなかのアレになっているのでは?

(ゲームのオンライン通信で一緒にプレイした人が50代ということだった。しかも上手だった。すげー。)

 

親の老化が目に見えてわかる。

それだけ自分が歳を重ねたということだけど、あまりにも…、な感じだ。

いろいろと覚悟しておかなくてはいけない。

 

自分の身は、もう誰も保証してくれない。

他者や社会制度の力を借りつつ、自分の才覚で生き抜いていかなけらばならない。

…どこまでしのげるのか…。

 

ふう、こりゃ大変だ。

ああ、世塵がふりつもっていく。

 

みんないろいろと考えている

流行っているらしい漫画「チェンソーマン」を初めの数巻読んだ。

感想はというと…。

もちろん面白い、けど…。

わからない。読み進めるといっきに変わるのかもしれない。

 

そんでこういうとき、自分の中の感性がまたひとつ萎んだのだ、と感じる。

もちろんすべての人間にうけるものなんてありえないんだけどさ。

 

 

年上の同僚と少し話した。

みんないろいろと考えている。お金のこと、健康のこと、年金のこと、将来のこと。

 

結局、「結果はどうであれなんか挑戦してみたら?」ということに落ち着いた。

 

非モテおっさんはさ、人生で1度でいいから合コンみたいなことをしてみたいよ…。

(ネット情報によると今の若い子は合コンなんてしないみたいだし(´・ω・`)

まあ仮に奇跡が起こって合コン出来たとしてもさ、確実に自己紹介で挙動不審になるし、盛り上げることもできないな。

終始「あ、はい。え?なんですか?」という言葉しか言わないと思う。

 

ただ、ひとつ。

20代で、一応彼女がいたことは自分の中でささやかな支えになっている。

他者から見たらちっぽけでくだらないことだけど、支えになっている。

もう本当にしょうもなくて泣けてくるね。

もし20代で1度も彼女がおらず、30代が過ぎ、40代が過ぎた時、どういう感情がわき上がってくるのだろうか。

 

…これこそ他者からしたらどうでもいいことだね。

寝る。