クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

虚無感の実生活の狭間で

無事出勤し、無事に帰宅した。

よくがんばった自分。

 

今日はほとんど仕事というよりも、休みに入る前の状態に少しでも近づけるよう「ならし運転」をしてるような感じだった。

思考と身体の動きが一致しないのがもどかしく、歯がゆい。

いや、スポーツ選手みたいな言葉で格好つけただけで全然、歯がゆくない。だるー。

今日1日の時間の流れの体感速度、普段の2割増しだと思う。気付いたら定時だったよ。

金曜日あたりに本来の状態に戻ってそうな予感。まったくもって駄目なリーマンである。

 

始まる仕事。

また始まる、自問自答。

よく仕事中に「俺って別に居ても居なくてもよくね?」と思ってしまう。

そんで「いやいや、そんな青いことよりも、まずは実生活。おぜぜを稼がにゃ今よりも悲惨になるし、女性からよりいっそう相手にされなくなるぞ」と気持ちを引き戻す、虚しいセルフコントロール

実際、自分がいなくなっても組織はまったく問題ないだろうし、会社の経済活動は滞りなく廻り続けるだろう。

それでも、牙は磨き続けたい。

 

気持ちは移ろう。揺蕩う。

1年後、2年後どうなっているのだろうか。

大人の動画見て寝る。

田舎事情 文化資本編

※あくまで私の生活の範囲で見聞きし感じたことであり、実際とはだいぶ異なっている箇所も多々ありまくりと思われる。そのあたりはご愛嬌で。

 

自身が感じる、上手く言葉に出来ない苛立ち、目に見えない壁や不公平感の根っこの遠因をまさに的確に表した言葉。

文化資本

この歳になり、最近この言葉を知ったくらいに私は底辺の低学歴。

 

よく人とたくさん会話した方が良いというし、若いうちにたくさん失敗して恥をかいた方が良いと言うけれど、そもそも、失敗したり恥をかいたりする機会と場所がないんだよー。

とくに僻地や田舎では。

行政サービスに触れ社会の仕組みを理解したりする機会もないし、美術などの芸術に触れる機会もないし、社会のダイナミズムを感じる機会もない(仮にあっても、知識の下地がないから「ふーん」で終わる)。

親がしっかりしているとか、叔父や叔母から薫陶を受けたりだとか、親戚が都会で生活していたり専門職に就いていたりして、たまにその親戚から刺激や教育を受けられるだとか、コミュニケーション能力を磨くだとか、こういった『文化資本』とは縁遠かった。

 

本当に縁遠かった。

そして、人との接し方がわからず、人間関係が築けない。

こういった人って、絶対に社会に一定数いるはず。

 

文化資本』が無いばかりに、世界が狭く視野不良に陥りがちになり、ものを知らないと嘲笑され、生まれ落ちた環境によっては、地元から僻地から出ることも無くひきこもり、ひたすらに歳を重ね続ける場合もある。

実際に、身近でもいる。

 

今、こうして実家を出て、働いて、小旅行程度だけど楽しんでいるのを、中学生の頃の同級生は信じられないだろう。

僻地、限界集落、田舎に生まれ落ちた人は、文化資本の有無、多寡によって、それなりの都市圏でたまたま生活することが出来た人より、人生を多少なりとも左右されていると感じる。

以上、実家に顔を出して感じたこと。

 

映画「バタフライ・エフェクト」はとても好きな映画。

 

田舎事情 コンビニ編

所謂大都市圏の住んでいるわけでもないし、そこに通勤し働いているわけでもない。

大都市、地方を問わず存在し、使用したことが無い人はいないはずのコンビニ。

自分の皮膚感覚でもわかるくらい、外国人の店員さんが目立つ。とにかく目立つ。

先日、アメリカ系か東欧系と思われる店員さんの「いらっしゃいませー」の言葉を聞いたときは軽い衝撃を受けた。なにも、こんな同調圧力の強い島国で働かなくても、と思ってしまった。

そしてもし自分だったら、『異国の地に来て、サービス業に従事出来るだろうか?』、と考えられずにはいられなかった。

大型連休中、実家に少しだけ顔を出し、故郷のコンビニに寄ってみた。

 外国人の店員さんは見えなかった。でもわからない。グローバルの波は止まらない。

なんて知ったようなことを言ってみる。

 

 

もう少しで大型連休も終わる。

前に観た映画「蜜のあわれ」の原作者の詩。

感じ方は十人十色だけど、なにかこう決意を感じられるところが好きだ。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ

室生犀星

 

 

 また日常が始まるなー。

労働者として日々の流れに振り落とされないよう、しのいでいく。

 

f:id:haretaraiinaa:20190504182022j:plain

田舎事情 治安編

大型連休中、故郷へ帰省した人もたくさんいただろう。

私も少しだけ実家に顔を出した。

故郷は相も変わらず、故郷のままだった。

小さい頃から変わらないたんぼ道、錆付いたシャッターが下りた個人商店、少しずつ年老いていく親。

 

田舎は人間関係が濃密だというけど、うちの田舎は相互監視が強いかな、と感じる。

誰が家の前を通ったか逐一確認し、この時間はあの集落の家の人間が仕事から帰ってくるとか、あの家は誰も働いていないのにどうして良い車に乗れるのかとか。

どうでもいい情報が回るのが早い。

「お隣さんから聞いたんだけど、○○地域の○○さん家、空き巣に入られたみたいだよ。○○さんの家、作業員風の人たちが出入りしてたって。」

うん、わが故郷も、空き巣とかっぱらいがそれなりに跋扈しているようだ。

作業服に身を包み車で移動、狙いを絞りターゲットにがぶりと食らいつく。

とある庭先に置いてある物はかっぱらいの対象。俺の物は俺の物、庭先の物も俺の物。

警察24時、他人事じゃねー。相互監視、どこいった。

 

大都市圏ではない地域は人口は増えることはないだろう。

空き家、限界集落だって増加していくだろう。

そのうち今の社会システムを維持できなくなる日がくるかもしれない。

福祉関係の知り合いにこれを言うと、叱られるんだけど、それでも思う。

今の社会は、「結局は自分たちが選んだ社会」である、と。

なるようにしかならない。

人口が増えることがないなら、それ相応の社会に形は変わっていく。

社会保障制度の質が下がったり、街の整備が出来なくなったり、いざというとき消防がスムーズに行えなかったりね。

 

「結局は自分たちが選んだ社会」である。

でも「自己責任」って言葉も大嫌いである。

でも「1度脱落した人間が再起するチャンスもない社会」も大嫌いである。

 

大人の動画を見て寝る。

無理のない範囲でやってみる

聞き逃した番組をradikoで聴いたり、読者登録させてもらっているブログで紹介されていた書籍を読んだり、映画を観たり、ほか雑事少し。

 

映画「search」、面白かった。

これは予備知識なしで観ると尚いい。評判が良いのもわかる。

 

Lightroomを使って現像してみる。

写真関係のサイト巡りをしていると、よく目にするLightroom

1度、使ってみたくなり手に入れインストールした。

普段はメーカーが無償で出しているソフトを使っているが、何事も挑戦である。

無理のない範囲で、先ずはやってみる。

それで失敗したっていいじゃない。

それで合わないなと思ったら、辞めるなり、自分なりにカスタマイズすればいい。

 

それだけのこと。

 

f:id:haretaraiinaa:20190501210051j:plain