テレビを見ていたら、「エコーチェンバー」という言葉が耳に飛び込んできた。
閉鎖的空間でのコミュニケーションを繰り返すことによって、特定の信念が増幅また強化される状況の比喩である、らしい。
まさに地方の中小零細企業を表しているではないか、と思って見ていた。
人間関係って面倒くさいね。
そしてつくづく思うのは、物事をちゃんと見ている人は少ないって事。
自分も含めて。
疲れた。寝る。
趣味は自分のペースで楽しんでいる。
だからこそ「趣味」と表現するだろうけど。
もう1つくらい、なにか継続して続けられるものがあれば、生活も変わるだろうか。
観たい映画もたくさんあるし、食べてみたいものや、行ってみたい場所もまだまだある。
だけど、すべてが叶うわけではないことも知っているし、手に入らないモノが腐るほどあるのも知っている。
どこかで折り合いをつけて、日々をしのいでいる。
写ルンですと白黒フィルムを現像に出した。
写ルンですで何を撮ったか、もう、覚えていない。
何が写っているのか楽しみだ。
サラリーマン生活、なんとか続けている。
もはや「仕事」ではなく「作業」の様相を呈しているのは秘密でアル。
変化がなければ、これがあと数年は続くのかと想像するが、危機感が真実味を伴って湧いてこないことに、「やべぇ」と思うしかない。
カイジの「限定じゃんけん」、冒頭の利根川先生の名演説が頭にちらつく。
疲れた。寝る。
今時の言葉を使いたくなるような文章に出会ってしまった。
つい使いたくなった言葉。
そう、「わかりみが深い」という言葉。
若者言葉、らしい。知らないけど。
そしてこの文章、もう、他人事とは思えない!
思えないんだよー!!
とくに「サークルで俺以外の同期でクリスマス会やったと聞いた」の件は、「わかりみが深すぎる」。
ほんと、もう、どうしていいかわからないんだよ。
(自分の場合は、幼少期の家庭環境の影響も多分にあると思う)
だからこそ、大人の動画に逃げてしまう。
動画にどっぷりつかり、一般的な感覚からだいぶ乖離していると思う。
それを指摘してくれる人もいないし、そもそも性癖を話し合う相手もいないし、もう無い無い尽くしですわ。無い無い尽くし。
ぬくもりを分かち合うことは、もうないのだろう…。
自分では普通にしているだけでも、何故か気持ち悪がられる。
初対面なのに何故かにらまれ、嘲笑され、小馬鹿にされる。
なんかしたっけ?何もしてないよね、俺?
あ、そうか、存在自体がアレなんだね………。
また1週間が始まる。
何のぬくもりもないけど、日々をしのいでいくだけだ。
この苦しみは消して消えない。
が、日本式資本主義社会の労働者としてしのいでいくため、仕事は頑張る。
…泣ける。
良い感じで光が差している草むらがあったので、パシャリ。
どんなに気をつけていても、防げないことはあるし、様々な要因が重なり巻き込まれることもある。
こればっかりは予測できないのが恐いところ。
危なかった…。
運転していて、踏切で線路内に取り残されそうになった。
冷静に考えれば、取り残されてもボタンを押すなり出来ることはあるし、行く手を塞ぐ踏切のバーはそのまま進めば上にあがる、ようだ。
ただ、人は思わぬ展開に巻き込まれると判断力を奪われ、固まってしまう。
今回は何事もなかったんだけど、ビビった。
年末のこの時期、慌ただしく過ごしている人もいるでしょう。
思わぬところから、まさか?!という事象に巻き込まれることもあるでしょう。
予測できないことばかりだけど、無事に仕事納めを迎えたい。
ご安全に。
寝る。
取り終わったフィルムをラボに出していた。
それが先日、仕上がってきた。
現像とデータ化。プリントは今回なし。
(知った風な感じで書いているが、まだまだぜんぜん写真初心者)
微細な調整はすべてラボ任せにしたけれど、仕上げてもらったデータを見て、お願いしてよかったと感じた。
フィルムカメラで撮り続けている方たちの気持ちの片鱗が少しだけ見えた気がした。
空の青さや、食べ物の湯気の感じが、なんともいえないものを醸し出している。
身バレになるものが多いから、なかなか写真をブログに載せることはないけれど。
もちろんデジタルでも撮り続ける。
自分のペース、自分の生活範囲の中で、流れていく日常を。
また一週間が始まる。
休みの日はつい大人の動画をみる機会が多くなる。
今週もしのいでいく。