クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

月曜日から

今日は何でもないことで無性にイライラしてしまった。
睡眠不足?
仕事が終わった後に、仕事とは無関係の人間と話す機会がないから?
自分はこんなに頑張っている、こんなに忙しい、どから邪魔するなという深層心理?
自分可愛さでいっぱいいっぱい?


イライラすることで、逆に周りに気を使わせてしまったか。
いや、呆れているだろうな。
仕方ない。
誰も本当のことを言ってくれない、大人の世界だもの。


人肌恋しい。
まあ、誰かの温もりを得ても、何も変わらないんだろうけど。
寝る。

雨模様も

雨模様も影響してか、気分がぱっとしません。

少し気持ちが闇側に傾いていました。

 

今日は洗濯機を回し、少し昼寝をしました。

起きたら時刻は夕方近く。

傘を差し、外へ。

生温かい外気に包まれながら、買い物をすませ、ああ、街には人が増えているなぁ、と詮無いことをぼんやりと思いました。

 

 

職場の雰囲気が悪く、いろいろと見聞きし思うこともありました。

人の気持ちをあてにしてはいけないな、と自戒をこめて。

 

PENTAX  フィルム:FUJI PREMIUM 400

f:id:haretaraiinaa:20200613212256j:plain

ワタオニを思い出す

とあるブログで、40歳でバンドを始めた、という記事がありました。
読んでいて、とても良いことだなぁと感じました。

趣味ってすごく大切ですよね。
たとえライフワークと呼べないくらいのものだとしても気分転換にもなり、内向きの気持ちが晴れやかになります。
その趣味を通じて好奇心が別のところにも向いて、また新しいことにぶつかるんですよね。

まだ私が学生の頃、実家で親が「渡る世間は鬼ばかり」を熱心に見ていました。
劇中で「オヤジバンド」なるものが出てくるのですが、当時は「そんなことしたって今更プロになれるわけでもない、人生の一発逆転が起こるわけでもない、さえないおやじたちがなにをやっているんだか」とクソ生意気なことを思っていました。
テレビ番組を見ていて、です(汗)。
こじらせていた思春期とはいえ、本当にアホな学生さんでした。

でも今なら、わかります。
新しいことをまずはやってみる、触れてみることの大切さ。どんな人間もいつかは衰えていく儚さ。
残された時間の価値がいかに貴重か。
人の目を気にしないで楽しむ度量の難しさ。

梅雨ですね。
エアコンの効いた部屋で、毛布にくるまりながら、イチャイチャしたいです…。

今週の労働も終わりました。
大人の動画をみて寝る。

何でもない木曜日

ブログを書こうと考えると、ネタとして仕事や会社ことが真っ先に思い浮かびます。
うーん、なんて味気ない人生を送っているのでしょうね。
ここ最近、中途入社の人たちの実力差が顕著に現れ始めています。
人によっては「あいつに大事なことは任せられない」という烙印を押され、小間使いのようなことがメインになっているなんてことも。
中小零細企業はオーナーの治外法権などで、多分に運の要素の影響をうけます。
とはいえ、残酷ですが人間の能力は不平等、というもの事実。実力と結果がすべてなのですね。
結果だけが身を守ってくれる、という言葉をひしひしと感じます(ただし、金持ちの家の子息は除く)。
自分だっていつ引きずり落とされるか…。

人間の三大欲求のうちのアレが、あきらかに不足しています。
何でここまで縁がないか、逆に驚嘆します。
このまま何も変わらず月日が流れたら、5年後、10年後、後悔するのでしょうか。
人肌がとても恋しい。


フィルムカメラ用で中望遠レンズを1本購入してしまった。中古。
自分が生活の根を下ろしている地方都市の日常風景を撮っていこうと思います。

あと1日。
乗り切るぞ。
労働者は仕事を与えてもらうもの。
「作業員」は創造的なことは圧倒的に弱いので、この現実を受け入れるだけ。

私のことです。寝る。

テレメンタリーを見る

労働の疲れと偏頭痛のダブルパンチにより今日はほとんど寝ていました。
覚醒したのは夜。
こういうとき、サラリーマンの大多数の人はこう思うんじゃないでしょうか。

「もし自分が倒れて労働できなくなったとき、寝込んでいるときでも収入が入ってくる仕組みを持たなくては」

と。
不労所得ぅぅぅぅぅ、ぐぬぬ
こういうことを書くと、怖い人たちが住む界隈に勧誘されそう。


録画しておいた「テレメンタリー2020 僕、変な人じゃありません」を見ました。
この番組では吃音の若者が登場します。
(そして私も吃音者です。)
吃音よりもつらいことは世の中たくさんある、それはわかっているけど、ここぞというときに吃音症状がでる時の絶望感。これはこれでなかなかしんどい。
そして、もし吃音がなかったら「もっと別の人生を歩んでいたのはないか」という「タラレバ」が頭の中をよぎる。
番組にでていた若者は新たな目標をみつけ、自分の場所を勝ち取りにいこうとしていた。
人生、どう転ぶかわかりませんしね。
自分だって就職して働いていることなんて奇跡だと思ってます(運がよかっただけ、ともいう)。

医学、科学が発展して、吃音含む「日常生活がそれなりに出来てしまうが故に、社会から非常に理解されにくい病」を治療する技術が開発されますように。
「自己責任」や「努力しないあなたが悪い」のような「一見、もっともらしく聞こえるが、本来なら国や行政がしなくてはいけないこと」を個人の責任にすり替えることが少しでも減りますように。
「お為ごかし」がひどいからねー。

出来の悪い頭で思考しつつ、寝る。

また明日から労働です。