無事に帰省。
ここは時間の流れなんて無いんじゃないかと感じる場所だと、いつも思う。
帰省するたびに「ここは退屈迎えに来て」が頭に浮かぶ。
だれか、だれでもいいから!迎えに来て!
(できれば巨乳の人で (´;ω;`))
ただ、実家のごはんはめちゃめちゃうまいんだ。
野菜も最高なのだ。箸がとまらん。
さて自分の部屋で過去問でも解きますか、と。
スマホで撮ったものをライトルームで現像。
無事に帰省。
ここは時間の流れなんて無いんじゃないかと感じる場所だと、いつも思う。
帰省するたびに「ここは退屈迎えに来て」が頭に浮かぶ。
だれか、だれでもいいから!迎えに来て!
(できれば巨乳の人で (´;ω;`))
ただ、実家のごはんはめちゃめちゃうまいんだ。
野菜も最高なのだ。箸がとまらん。
さて自分の部屋で過去問でも解きますか、と。
スマホで撮ったものをライトルームで現像。
夏の風物詩といえば、何を思い浮かべます?
自分の場合、ひとつとして高校野球が思い浮かぶ。
めちゃくちゃなファンでもないけれど、学生の頃は高校野球をよく見ていた。地域の新聞で地区大会の結果なども目を通していたこともあった。
強豪校に、思わぬ伏兵とよばれる学校が勝つと自分の母校の様に喜んだ。
私立の強豪校よりも、無名の公立校を否が応でも応援してしまう。
ただ、だんだん歳を重ねるごとに日常のことに追われ、世塵にまみれ、結果を気にすることも減ってきた。
別の見方もするようになった。
あの炎天下で、酷使される選手たち。
様式美や精神論、大人の都合。
いち高校生の部活動の大会に流れるお金。
そんなに甲子園って大切なことなのか?と。
深夜の高校野球特集番組で、1年生レギュラーを番組の大人が異常にもちあげているのを見てとても違和感を感じたり(野球に関しては確かにすごい能力があるのだろうけど、それ以外のことに関しては…。本人のためにはならんだろうに…)。
このあたりは島根の強豪校の元監督が出している書籍か講演が興味深い、と思う。確か。
結果を残しプロ野球に進んでも、成功するのは一握り。
プロ野球選手の寿命も長くないはず。
テレビでよく見かける「戦力外通告」。
プロ野球を去った人が、野球界以外の職に就くのはとても少ないみたいだ。
そうだろうなぁ、と。
とくに…、とくにずっと野球漬けだった人たちは、ある意味ではとてもつらいだろう。
だって、今まで「自分の世界は野球がすべて」状態だっただろうから。
先日ラジオから、元プロ野球選手から公認会計士になった人がいると放送が流れたきた。
商業高校出身の元プロ野球選手。
とても、勉強したのでしょう。
高校生の頃勉強した簿記がもとになっているという。
人生、なにがきっかけで動くかわからない。もちろん本人の努力も大前提。
こういう人のお話は、とても身にしみる。
お盆休みも、少しずつ勉強しよう。
寝る。
ネットで見かける「上司ガチャ」という言葉。
自分も経験した。身近でも観測できる。
その身近な例の場合。
「あれはちょっと可愛そうだよ、あの人の下にいても何も身に付かないから時間の無駄だよ」と言われている若手がいる。上司ガチャである。
自分もそう思う。
おそらく何年過ごそうが身につくのは「無茶ぶりに対する危険察知能力」と「上手く立ち回り怒られず、でも仕事はしっかりやってますアピールをし、悪いのは取引先!と責任転嫁する能力」ぐらいではないだろうか。
取り返しがつかなくなる前に、もっと組織的に…。
と、こんな偉そうなことを書いているが、自分は「社歴だけは長く実力は伴わないけれど、仕方なく繰り上げみたいな形で上の立場に就く」程度の能力しかない。
もし、その立場になったら、自分自身が「上司ガチャ」を体現する訳にはいかない。
と、こんなカッコいいことを書いているが、卒業までクラス替えのない公立●学校みたいな環境だから、そんな立場になることもない。
人生はままならないっすね…。
30過ぎて、初めて野外ライブに行ってきた。
ビール飲みつつ音楽を聞く。楽しかったー。
カメラを始めたのもブログを始めたのも30ちょい過ぎから。
それまでの「上司ガチャ」、それと「環境ガチャ」から距離を置くことが出来たからだろう。
いざ、その場所から抜け出し、第三者の目線で見てみると「なんてくだらない、異常とも思える環境にいたんだろう」と気付くことができる。
その中にいると「今いる世界がすべて」と思いがちなる。
寝る。
どんな人間にも孤独を感じるときがある。
自分の場合、仕事中とくに強く感じるのは社内行事、プライベートではほぼ毎日。
本当に、社内行事はつらい。社内調整、根回し、端から見ればどうでもいい忖度、権力闘争(コップの中の嵐ともいう)。
コミュニケーション能力等がポンコツなので、地獄っす。
さらに吃音持ちのため、社会人としても致命的なんだけれど、メールしたり電話したり日々の業務は恥をかきながら、だましだまししのいでいる。
経営者の孤独。/土門蘭(ポプラ社)、購入。
少しずつ、読んでいる。
それぞれ、各分野の経営者に「孤独」についてインタビューしたものをまとめた書籍。
今現在、私は地方都市の中小零細企業のサラリーマン。それっぽく聞こえるカタカナ表記を改めると「賃労働者」だ。そして自分の場合は「単純労働者」の部類に入るだろう。ほぼ9割、いや100%、会社の看板で飯を食べている。会社にも寿命はあり、ちょっとまずいかな、という雰囲気。分水嶺はとっくに越えているだろう。
いまの立場でいられる限りは、1年後も同じ業務をしているはずだ。歳を重ね(減価償却され)利用価値がなくなったら、ぽいされるのも目に見えている。
「オフィスの設備はすべて誰かがリスクをとって揃えたものなんだってことが理解できました。それまではコピー機ってただの備品だった。でもあれって、誰かのリスクなんですよね」
作中出てくる、ある経営者の言葉。
そして、「そういうリスクをとった人としか友達にはなれないだろう」、と。
労働者の孤独なんて、経営者の孤独に比べれば些事でしかないのだろうが。
プライベートの孤独でいえば、夏のカップルを見かけるたびに胸が痛み、大人の動画を見終わるたびに孤独を感じる。くっそ切ない。
おっさんになっても、「夏らしいことをしたい、夏らしいことをしたい、夏らしいことをしたい」と思いが止まらない。
ラジオを聴きつつ寝る。