クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

人はグラデーション、という話

ちょっと暗い嫌な話。
暗い話が嫌いな人は戻ってください。





最近訃報が届く、ということを何度か日記で書いた。
訃報ではないけれど、個人的に思う出来事があったので文章に起こしてみる。


就職したての頃、一緒に仕事をしていた中にとても気が強い人がいた(我が強い、ともいう)。
しばらくして私は転職することになり、その人とは極たまに連絡を取るくらいの距離感になった。

その人と一緒に働いていた当時、その人は50歳を超えていたけれど、とても攻撃的な人だった。
人と会話するときは、なにかひとつ相手に「嫌味」をぶつけないと気が済まない気質でもあった。
自分よりも年下は「みんな半端者の赤ん坊だ」という感じ。
プライベートでは、出来れば一緒にいたくないタイプの人間。


その人から最近、電話があった。
(最後に会話したのは数年前。正確には思い出せない)

電話でしゃべり、軽い衝撃を受けた。
かつての攻撃性は消え失せていた。
いまや口は回らず、機転の利いた「言葉の切り返し」もなかった。
むしろ、こちらの言葉をちゃんと理解しているかどうかも怪しかった 。

大病したのか、健康状態はどうなのか、聞けなかった。

やはり時の流れは残酷だ 。

そして、こんなことを思う自分はゲスな人間なのかもしれない。
この人に同情することができないのだ。
なぜか。
その人は自分の職場での立場や居場所を守るめに、「敵」を攻撃し、貶め、いびり、徹底的に辞めさせてきた。
自分は絶対に間違えない、とも豪語していた。

だからこそ、今まで泣かしてきた人間に詫び、最後ぐらいは、、、、と。


自分は頭が硬いのだろうか。
人間は社会的生物前に、動物である。どんな人間にだって攻撃性はある。

もちろんその人も「生きるため」に「生活するため」に、そのような性格になってしまった可能性もある。
しかし自分は、人間の性善説を信じるにはちょっぴり歳を重ねてしまった。


人はグラデーションなのだ、とよく言います。
真っ白でもなく真っ黒でもない、グラデーションなのだと。
自分だってグラデーションの塊だ。

あーあ、暗い話だった。
ゲームして、少し読書して寝る。