「会社人」に向いてないと何度か書いたけれど、むしろ「会社人」に向いているのかもしれないとも思います。
なんだかんだ言いつつ律儀に毎日朝起きて、労働場に遅れないように向かう。
労働の民族大移動に精神を削られながらも、途中Uターンして「今日はやっぱやめた、帰ろっと」ということもせずに向かう。
これはこれで立派な「会社人」ではないか、と。
「会社人」になれるかどうか、人それぞれ多少向き不向きはあるでしょうけど。
そして、これは「自分の器」の証明でもあるような気もします。
「会社人」に向いている、ということは裏を返せば「資本主義社会では成功しない確率が非常に高い」ということでもないでしょうか。
なんか表現がこじらせていますね。
それでも日々は続いていきます。
寝る。