個人ラジオが好き
「35歳の少女」、見ています。
多少の突っ込みどころはあるかもしれませんが、それも含めて見ています。
今回は「人間の悪意」もちらほら出てきました。
社会性を持つ動物、人間として「時に悪意にさらされる」ことはある意味では通過儀礼なのかな、と思ってしまいます。
いや、そんな社会の方がおかしい、と思いたい気持ちもあることは、大人になりきれていない証拠ですね。
個人ラジオをたまに聴いています。
著名人ではなく、普通の会社員の方が発信しているラジオなどです。
これが自然と聴いていられます、すごいと心底思います(上から目線ではありません)。
とくに同年代の方が発信しているラジオは気になってしまいますね。
同年代が感じていること、気になっていることを聴き、自分の感覚との違いを認識することも大事かなと思います。よく「あなたは変わっているよね」と言われるので。
あと私は吃音者のため、よどみなく話すことができる感覚がわかりません。
これは生涯、わかりませんね。
調子の良いときはひとまず会話が成立しますが、調子の悪いときはもうひどいものです。言葉が出てこないので、単語を必死に繋ぎ合わせるだけです。「あの件」「○○○」「▲▲▲」という具合に。確実に相手に不信感を与えてしまうため、この時の自分が感じるふがいなさと言ったら形容できません。
吃音がなかったらもっと違う人生があったのではないか、もっと異性の知り合いがいたのではないか、と「ifの世界」を想像してしまいます。
そして、そんな吃音者の私ですが、ひょんなことから、もしかすると身を置く業界の集まりの中でそこそこの時間、喋ることになるかもしれません。
いやはや完全に人材の選定ミスですよー。候補は私だけではないようですが、そうならないことを祈っています。なったらなったで、出来ることをするだけですが…。
社会人としてどうかと思われるかもしれませんが、苦手なことより得意なことで結果を出したいタイプなものでして。ぐぬぬぬぬぬぬ。
今日はカメラをもって散歩してきました。
秋桜が陽の下で揺れていました。
少し勉強して、寝る。