単語ひとつでこんなに
「デジタルネイティブ」という言葉を生身の人間が発しているのをはじめて聞いた。
昭和の終わり近くに生まれ、そして昭和の方たちに囲まれ、地方の中小零細企業で日々削られている我が身。
「専門職」だが、日々の業務は「仕事」というより、実際は「作業」みたいなものに近い。かなしー。
(個人的見解として、○○生まれ、○○世代という言葉は好きではない。)
言葉は生き物であり、その時代を映す。
デジタルネイティブという言葉が呼び水になり、職場から去っていった同僚を思い出した。
仕事でほとんど交流は無かったその同僚。
いろんな情報を総合し結論から言うと、変化についていけなくなり、結果を出すことができなくなって去って行った。
いままでのやり方で、通用しなくなってきたのだ。
危機を危機と感じるか否か。
自分は古株だから、とあぐらをかいてしまったのではないか。
新しいことを吸収する好奇心や原動力は、本人の環境、資質や能力も関わってくるからある意味では非常に残酷だ。
では、自分はどうか?
変化について行けるのだろうか。常にアンテナを張り続け、アップデートし続けていけるのか。日々の生活の中で、疑いを持ち続けられるのか。
けっこう、あやしいと思う。
うーん。デジタルネイティブという単語ひとつでこんなことをグダグダ思考している内はあやしいな。
大人の動画を見るぞ。
寝る。