たまに思い出す知り合いがいる。
その人との出会いは20歳前後。
とあるサークルで知り合った(大学や学校のサークルではない。そもそも私にそんな大それた学歴はない)。
同じ悩みがあり、地元も近かった為、一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったりする間柄になるのに時間はかからなかった。
そして、その頃にはお互いに社会人なっていた。
時間が経つにつれ、だんだんと相手の性格がわかってくる。
とにかくしゃべる。よくしゃべる。一方的にしゃべる。
こちらが話題を変え、会話の手綱を握ろうとしても、強引に奪い返し話をかぶせてくる。
一方的によく、日本の政治・政治家や国際情勢、昭和の歴史の話を聞かされた。
こちらが意地をはって「社会派」的なことを発言するようなら、「そう思った理由を聞かせて。誰が言っていたの?ちゃんと説明して。そんなこともわからないの」と小馬鹿にされた。
そういえば飲み会とかで自己紹介するとき、「○○○大学出身(私立の双璧のマンモス校)の○○です」と言っていたなぁ(そんな飲み会でもないのに)。
とにかく自分、自分、自分という人だった。
「フレネミー」という造語を知ったのはだいぶ後のことである。
この場合、少し違うかもしれないが。
つまり何が言いたいかというと、当時知り合いも友達も皆無だった私は、「私のことをまったく尊重しない人」だけど「こんな自分をご飯に誘ってくれる人」にすこしだけ寄りかかってしまった。
自分に自信がなくて。幼くて。
もしかしたら、いままでの灰色のくすぶった世界が変わるかもしれない、と思ってしまった。
「知り合いに○○○大学出身の人がいる」、というくその役にも立たない見栄や打算もあった。
当然、世界は何も変わらず、会うたびに一方的に「政治の話」や「社会派的な話」を聞かされ続けた。
そして、時が経ち「自分のことを大切にしない人を大切にする必要はない」という至極当然の考えにたどり着き、縁を切った。
知り合いをばっさりと切ったのはこのときが最初かもしれない。
彼女が出来たときも話さなかった。
性格上、「彼女できたんだ。よかったな。どんな子なの?」ではなく「彼女できたんだ。どこ大学の出身の子?」と聞かれるのが目に見えたからだ。
今、どうしているんだろう。
知りたくもないけれど。
多分、実家を出ていないんだろうなぁ。自分のはいたパンツを自分で洗濯しているのかなぁ。
身の回りのことは家族にやってもらいながら、この国の政治や地方自治を憂いているのかな。
「ほんとうは留学したかった」と言っていたけど、それに近いことは出来たのかな。
たまに思い出す。
そんな痛い思い出。
寝る。