クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

ルーティーンの果てに

衰退、崩壊に向かっている組織とはどういう状態なのでしょう。
または、その前兆がある集団の雰囲気というものは。
サラリーマンの毎日のルーティーンの果てに、行き着く先は後戻りできない地獄なのでしょうか。

ただし、経営者一族は除いて。

そもそも、そういう事態も想定し準備しておくのが、サラリーマンにできる、せめてもの抵抗なのでしょう。
生殺与奪権はいったいどこに。

いつもの常套句ですが、相も変わらず職場で浮いています。
それでも会社に通い続けるのだから、ある意味調教済みの思考となっています。

当たり前のことですが、生まれ落ちた環境により、しなくても良い苦労をする人もいれば、経済的にいっさいの苦労をすることなく、恵まれたポジションにつける人もいます。

そうなのです、恵まれたポジションにつくのはいいです。しかし、まだ若い年頃ならいざ知らず、今までどんな生き方をしてきたのか知りませんが、実力がいっさい伴わず、それでいて「私、せいいっぱい頑張ってるもの」という内弁慶ですら、生まれ落ちた環境により、この先経済的にいっさい苦労することなく、生きていけるのです。

そして、それは当人にとって当たり前の事なので、「外の世界」にはいろんな生き様がある、ということを認知できぬまま、経済的にいっさい苦労することなく、生きていけるのです。

それは、その人の世界なので、私が外野からいくら念じても、何も変わらない。

ふう、自分も含めて、人ってつける薬がありませんねぇ。

周りは変化しているのに自分だけは、という感覚

ここ最近、Kindleで本を読んでいます。

昔は小説をよく読んでいましたが、今はほとんど読みません。

価値観は年月と共に変わっていくことを感じます。

そして、自身の周囲をとりまく人のライフステージも、変わっていきます。

 

今日は珍しく人と会う予定を入れていたため、ちゃんと起きることが出来ました。

いやあ、約束事は人をちゃんとした人間に引き戻してくれますね。

そんなこんなで久しぶりに人と会い、いろいろと話していると、どうやらプライベートで大きな変化があるようで「いろいろ今は大変なんだよなぁ、ま、来月には落ち着くだろうけど」と言っていました。

当たり前ですが、その人だっていつまでも同じ場所に居るわけがありません。

そして、その人に限らず、ここ最近周りの人のライフステージが変化しているのをよく見聞きします。

自分だけは何故か数年前からなにも変わっていないな、と【焦ったフリをしている自分】がいます。

他者からすれば、マイペース野郎に見えるのでしょうけど。

こういう、ある意味では鈍感で図太いところがあるのが私の長所なのかもしれません。

こんな感じの私でも、なにか変化しよう、と考えているのですがね。

 

ああ、それにしても彼女がほしい。いや、彼女といかなくても、仕事終わりに一緒にご飯にいける異性の友人が欲しい。この望みは、そんなにわがままで贅沢なことなのだろか。

どれほど望んでも手に入らないものだ。水面に写る月に手を伸ばすようなものだ。

 

 

最近読んで、印象に残った本を。

最後にあげている「幸福の資本論」に出てくる、【金融資産】【人的資本】【社会資本】の考え方は、頭のいい人は感覚的に理解しているのだろうな、と思わせます。

 

本を読んでも、自分自身の現実は変わりませんが、それでも「他者の物語」を求めてしまいます。

人の性、ですね。

 

苦しかったときの話をしようか

苦しかったときの話をしようか

 

 

 

 

遠くを見つつ

巨人の肩に乗る、という言葉があります。

先人達の知恵に元手に、より遠くが見通せる状態。

これを使わない手はありません。

仕事でもプライベートでもそうですが、他の人が実践していて、自分が「良い」と思ったことは徹底的に真似します。

それで時間が短縮できたり、結果に繋がるのなら、嫌味なんて安いものです。

 

結構前から、WordPressで趣味に特化したブログを開設しちょくちょく更新しています。

開設するときも先人の知恵に助けられました。

そして趣味のサイトとはいえ、やっぱりそれなりの人に見て欲しいとは思っていますが、もちろんアクセス数なんて雀の涙。まずは楽しみながら、細く長く。

転びながらでもやってみる、を実践できたから、もうこの時点で90点だと思ってます。

 

あと今日のやることは、試験勉強、すこし持ち帰った仕事(作業)、録画しといた番組を観る、読書くらいでしょうか。

あ、その前に大人の動画をみて、ごにょごにょするかもしれませんが。

 

こうやって時間は過ぎていきます。

無性に疲れた

外出中、空に目をやると夏雲が浮かんでいました。
しかしもう少しで夏も終わりますね。
空の写真を1枚撮りました。

独り身孤独サラリーマンをしていると、季節の行事事に縁がなくなるので、どうも毎日が単調です。
このウイルス禍が、さらに拍車をかけています。
小さい頃はたくさんのワクワクする事があったはずなのに、今はよっぽどの事がないと心は動きません。
それに、心躍るような出来事なんて、サラリーマンの活動圏で起こるはずもありませんが。
サラリーマンの生活はそうやって設計されていますね。

…悲しいですが、よくできた仕組みです。


昨日、今日は疲れたなぁ。
もう寝る。
大人の動画を妄想しながら。

36枚の間に変わりそう

洗濯、掃除、草取り、買い物、所用、少しゲームをしてyoutubeを見、試験勉強や仕事(平日、終わらなかった作業)をしているとあっという間に1日が終わります。

 

今日はカメラを持ちだし、シャッターを切ったので「良し」としましょう。

社畜であり、マイペースな為、36枚撮りのフィルムを撮り終えるのに、季節は夏から秋に変わりそうです。

現像・データ化したら、過ぎ去った季節が戻ってくるような気持ちになれるのが写真なのかもしれません。

まあ、撮影のスキルは置いといて…、楽しめば良いのです。

 

どうも気持ちがもやもやふらふらしています。

悪循環にはまっています。

心理学者の理論で、欲求には5段階あるようです。

  1. 根源的・生理的欲求
  2. 脅かされない安全な生活、安全欲求
  3. 周囲から受け入れられているという社会的欲求
  4. 承認欲求
  5. 自己実現欲求

職場で空気が読めず浮きまくっている私は、実は「3」を欲しているのか、と思うようになりました(でも自分の職務はこなしているし、組織に不利益は与えていないし、むしろ利益に貢献している自負も多少は、ある)。

そう思うようになると自分でも意外でした。自分ってそんなことを気にする人間だったんだ、と。なるほど、これがもやもやの遠因か、と。

 

しかし、生命の危機に直結する原始時代じゃあるましし、必要以上に受け入れられたところでなんも意味もないのに、と考えてしまうところが周囲から「自分のことだけでなにもしない、偏屈」と思われるのでしょう。

(でも、人間なんてみんな「自分のこと」だけしょう?自分の我を通すために、理論武装したり、権力をもった人間側に立つフリをしたり、相手に圧力をかけたりする)

今の状況は時間が経っても好転しないことは目に見えています。

 

要は人間が集まると発生するパワーゲームに負け、端に追いやられた、という訳ですが。

 

そして、このご時世に転職する気概もないくせに、もし転職したらやっていけるだろか、等と無意味な皮算用をしています。

今は雌伏の時して、インプットと行動をし続け、未来に備えるのがベターなのでしょう。(チームワークはめちゃくちゃ苦手です)

たとえ、この先なにもなかったとしても、勝ち目がなくなっても、もがき続けるしかないのでしょうか。

なんだかんだいってまだ平和で安全な国に生まれ落ちたことを幸運と思い、これ以上食われないように低空飛行で日々を飛ぶ。

 

夢をみる歳はとっくの昔に過ぎ去り、それでも日々をしのいでいかなくてはいけません。

 

なんだか、書いててあっちこっち支離滅裂になってしまいました。

 

うーん、人肌恋しい。

異性とご飯行きたいよ。