明けましておめでとうございます。
無事、新年を迎えることができました。
といっても、元日に特別な何かを感じることもなくなりました。
ただの長い連休、という感覚が強いです。
年越しは、実家に戻り家族と迎えたり、実家には戻らず友達と迎えたり、はたまた海外だったりと十人十色かと思います。
私はというと、気軽な独り身。
しかし、毎年歳だけは重ねる。
親の加齢もまたしかり。時の流れは残酷です。
アラサー過ぎたら、実家に戻った時は「親や家の状況をよく観察しなさい」と言われます。
万が一は突然やってくるのだから、と。
そして、自分自身、いつまで今の仕事に就いていられるのだろうか、とも考えます。
しかし、いくら考えても、人生は予測通りにいくわけがありません。
経済的なことを備え、万が一のことにも心構えだけはしておく。
出来ることを大きく分ければ、これくらいではないでしょうか。
とはいっても、自分の人生。
楽しむことは楽しんで、馬鹿にしてきた連中に「ざまーみろ!」と
いえるくらいにはなりたいものです。
余談ですが、地元に帰るたびに、本当に「文化資本」という言葉を噛み締めます。
たまたま教育水準があり、世間知を叩き込んでくれる家庭に生れ落ちるか、
そうではない家庭に生れ落ちるか。
目に見えない資産を学ぶ機会に恵まれているか。
たったこれだけで、人生のおおまかな未来が形作られてしまうことは、
「残酷」といえばそれまでですが、なんとも言えない気持ちにさせられます。
「生れ落ちた環境は、言い訳にはならない」とわかっていても。
今はインターネットが発達し、かなりマシになったとはいえ、
田舎者は「なにか興味をもったことを始めてみたい」と願っても、
そこにアクセスすることができないのです。
見渡す限り、自然がただただ広がっているだけだから。
都市部のように電車に乗って、気軽にどこそこへ、とはいかない。
そして次第に、「自分がいくら望んでも、それは所詮、ドラマや漫画の世界だけのことなんだ」と希望を奪われていきます。
映画をたった1本観にいくだけでも、漫画本を購入するだけでも、
それなりのイベント事になるのです。
さらにさらに、人付き合いが苦手で友達がなかなか作れない子供で、周囲の大人たちの「人的資産」に恵まれていないと、それはそれは大変です。
親戚の叔父さんや、ひょんなことから知り合った「大人」が知恵を貸してくれたり、「世間知」を教えてくれるのは、漫画の中だけなのです。
現実では、そんなことは絶対に起こらず、時間だけがただ過ぎていくだけなのです。
つい思いが高まり長々と書いてしまいました。
繰り返しになりますが、「生れ落ちた環境は、言い訳にはならない」。
不平等を受け入れることから始める(だれかの名言で、聞いたことがありますが)。
今年も、たくさんインプットをして、アウトプットをしていきたいです。
写真もマイペースに撮っていきたいです。
こんなブログに足を運んでくださり、ありがとうございます。
2020年が良い1年となりますように。