クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

迎春

明けましておめでとうございます。

無事、新年を迎えることができました。

といっても、元日に特別な何かを感じることもなくなりました。

ただの長い連休、という感覚が強いです。

 

年越しは、実家に戻り家族と迎えたり、実家には戻らず友達と迎えたり、はたまた海外だったりと十人十色かと思います。

 

私はというと、気軽な独り身。

しかし、毎年歳だけは重ねる。

親の加齢もまたしかり。時の流れは残酷です。

アラサー過ぎたら、実家に戻った時は「親や家の状況をよく観察しなさい」と言われます。

万が一は突然やってくるのだから、と。

 

そして、自分自身、いつまで今の仕事に就いていられるのだろうか、とも考えます。

しかし、いくら考えても、人生は予測通りにいくわけがありません。

 

経済的なことを備え、万が一のことにも心構えだけはしておく。

出来ることを大きく分ければ、これくらいではないでしょうか。

 

とはいっても、自分の人生。

楽しむことは楽しんで、馬鹿にしてきた連中に「ざまーみろ!」と

いえるくらいにはなりたいものです。

 

余談ですが、地元に帰るたびに、本当に「文化資本」という言葉を噛み締めます。

たまたま教育水準があり、世間知を叩き込んでくれる家庭に生れ落ちるか、

そうではない家庭に生れ落ちるか。

目に見えない資産を学ぶ機会に恵まれているか。

たったこれだけで、人生のおおまかな未来が形作られてしまうことは、

「残酷」といえばそれまでですが、なんとも言えない気持ちにさせられます。

「生れ落ちた環境は、言い訳にはならない」とわかっていても。

 

今はインターネットが発達し、かなりマシになったとはいえ、

田舎者は「なにか興味をもったことを始めてみたい」と願っても、

そこにアクセスすることができないのです。

見渡す限り、自然がただただ広がっているだけだから。

都市部のように電車に乗って、気軽にどこそこへ、とはいかない。

そして次第に、「自分がいくら望んでも、それは所詮、ドラマや漫画の世界だけのことなんだ」と希望を奪われていきます。

映画をたった1本観にいくだけでも、漫画本を購入するだけでも、

それなりのイベント事になるのです。

さらにさらに、人付き合いが苦手で友達がなかなか作れない子供で、周囲の大人たちの「人的資産」に恵まれていないと、それはそれは大変です。

親戚の叔父さんや、ひょんなことから知り合った「大人」が知恵を貸してくれたり、「世間知」を教えてくれるのは、漫画の中だけなのです。

現実では、そんなことは絶対に起こらず、時間だけがただ過ぎていくだけなのです。

 

つい思いが高まり長々と書いてしまいました。

繰り返しになりますが、「生れ落ちた環境は、言い訳にはならない」。

不平等を受け入れることから始める(だれかの名言で、聞いたことがありますが)。

 

今年も、たくさんインプットをして、アウトプットをしていきたいです。

写真もマイペースに撮っていきたいです。

 

こんなブログに足を運んでくださり、ありがとうございます。

2020年が良い1年となりますように。