クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる三十路弱小サラリーマンの日々の記録。他愛もないことから、写真・カメラ(Canon、時々FUJIFILM)、小説、映画、旅行とか。

四月で思うこと

録画したと思っていた番組が録画されていなかった。
したつもりになっていたようだ。

再放送はいつだろう。

見たかった番組はテレビは
【ザ・ドキュメンタリー『見えない壁、糸口を求めて ~吃音と向き合う~』
言葉が詰まる障害「吃音」。国内では約100万人が悩んでいる。立ちはだかる就職の壁。社会を変える糸口を求めて…奔走する女性の200日を追った。】

である。

 

吃音

私も吃音者だ。

私のことを誰も知らないブログだからカミングアウトしているわけではない。
リアルで、私とある程度の時間を過ごしていれば誰でも気付くし、こればかりは隠しようがない。
(調子のいいときは初対面の人間には隠すことはできる、と思っている)

いままで吃音者として生活し思うこと、働くということを拙いけど文字にしてみる。
狭い了見と思われるだろう。
だって一人の人間が経験できることなんて僅かものでしょ。
脳医学的なことはまったくわからないから書かない。

話はずれるけど、私が女性の吃音者に実際に会い話したことがあるのは両手で足りるくらいの人数。
大学院までいった高学歴、人に使われるのだけは嫌だといって自分の城を築き稼ぎ子供を育て上げた人など個性豊かである。
2019年現在のSNS社会では、女性限定の吃音者の集いなど開催されているみたいだ。

 

吃音の二次被害

私は学生時代をなんとかくぐり抜け、運良く就職し、今現在もなんとか働いている。
もちろん学生時代は暗黒時代。
症状としては軽い方なのだろうか?
重度の人も知っているが、その人は生存戦略を考え、適材適所というか自分の力を発揮できる場所に就職していた。

吃音はつらい、とてもつらい。だって、言葉が出てこないんだもの。
そして吃音による大きな二次被害として、【吃音だから俺は(私は)なにをやっても駄目なんだ】、という思考の癖がついてしまうことだと思う。

吃音に悩む人が一度は見聞きしたことがあるはずの言友会。とくに私の世代やその上の世代かな。
実際、藁にもすがる思いで言友会に参加した人もたくさんいたと思う。
そこで自分以外の吃音者にはじめて出会い、電話の疑似練習をした人も多いのではないかと。

吃音に限らずだけど、人間社会の嫌な部分で、弱者は「健気で真面目で、弱点を克服しようと自分と向き合っている人間でいなければいけない」という同調圧力がある。
そのイメージの枠から外れれば、「けしからん」「弱者のくせに生意気だ」という

吃音者として「下」にいるうちはいいが、非吃音者と対等な態度や物言い、ちょっと賢いことをすると、「いやいや、こっちの立ち位置に勝手に登ってくるなよ。対等ではないんだよ。こっちが手を差し伸べてやっているんだよ」という態度や気持ちが透けて見える時がある。

 

就職すれば、吃音者はそんな場面に嫌というほど出くわすだろう。
会社はある意味では、社会を学ぶ学校くらいに考えても良いんじゃないだろうか。
お金が動き、行政サービス・社会保障や税金をより意識し、自分が身を置く業界から社会の仕組みもっともっと想像してみる。利益がでるということはどういうことなのか。海千山千の先輩の言動から良いと思ったことを盗む。
それを繰り返していけば、自分の成長にもつながる。

 

囚われすぎてはいけない

たしかに時に吃音によって諦めなければいけない職種はあるだろう。
高度なコミュニケーション能力が求めらる接客業・窓口業務、言葉がでないことによって人命の危機や事故に直結する運転士等々。

 

新社会人が溢れるこの時期、自分の場所で戦っている吃音者を思い浮かべてみる。

 

どうして吃音があるんだろう。

でも吃音に囚われすぎてはいけない。
どうすれば出来るのか考え、牙を磨き、ちょっとずつ力を蓄えていくしかない。

言うは易く行うは難し。

だけど 歳を重ね、変なプライドは薄まり、笑われてもいいや、という感覚が強くなり、吃音に左右されてたまるか、となるよ。

今、つらくてもそういう時期もくる。

 

 


余談。吃音を扱った映画や漫画。

きよしこ/小説、重松清
青い鳥/小説・映画、重松清
志乃ちゃんは自分の名前が言えない/漫画
ラヴソング/ドラマ
英国王のスピーチ/映画

 

先日、言及機能を知り、今日は「大見出し」という機能を使用してみる。

いろんな機能があってまだまだ使いこなせない。

 

寝る。