クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる三十路の弱小サラリーマンの日々の記録です。他愛もないことばかりですが、写真・カメラ(Canonユーザー、時々FUJIFILM)、小説、映画のことを少しずつでも続けていけたら。

そんなこんなの春

春は出会いと別れの季節。
がしかし、中小零細企業に身を置く人間にそんな大それたイベントは起こるはずもなく、クラス替えのない中学校で卒業まで同じメンツで過ごすような日々が続くだけである。

季節事のイベントに、とんと疎くなる。


私は社会人としては結構下の部類で、自分の仕事の役割なんて組織の中では微々たるものだけど、誰かの犠牲の上に成り立っている案件ってたくさんあるなと感じる。
(同世代の「出来る」人達って、どんな生活を送っているんだろう。)

最初に働いた会社で「下請け」のことを「協力会社」と呼んでいて、「どんなに言い方を替えても、取り繕っても、力関係は絶対に変わらないのに。あぁ、これが資本主義というやつか」と変なところで感心したことは忘れない。

社会的な事や人間関係の見えないルールなどは社会人になるまで周囲の大人は誰も教えてくれなかった。通常は学校生活を通じて育むものだろうけど、友達を上手く作れなかったので、早々に脱落した。
親もそういう事にはとても感心がなかった、と思う。
少し話それるけど、この国の識字率って良い方なのかな。小さい頃の周囲の大人は、今振り返ると読み書きは怪しかったと思う。

そんで、いろんなことでボコボコに打ちのめされては覚える、の繰り返しだった。
(前に新聞記事で、箱根駅伝で活躍した選手が就職した先で社内メールや簡単な回覧の書類を作ることが出来なかったというのを読み、その時の気持ち、悔しさとても分かるよー、と会ったこともない人に親近感がわいた)

生まれ落ちた地域や教育環境、小さいとき普段関わる人間に恵まれた人は、絶対的に幸せだ。
これは絶対的だ。個人的見解だけど。

もちろん、いつまでも出自を言い訳に出来ない。
そんな年齢はとっくの昔に過ぎ去った。
配られたカードで勝負するしかないんだ。



春になるとセンチメンタルになりますよね、というお話。
そんなこんなで、自分に言い聞かせ日々をしのいでます。

彼女欲しいなー。

寝る。