今日は遠出しようと思っていたけどやめにした。
時々、旅行に行ったところで何の意味があるんだ?と思ってしまう。
同行者はおらず、旅先で旅情を言い合える訳でもない、知り合いを増やせるほどのコミュニケーション能力があるわけでもない。
何のために行くんだろう、と空虚なことを思ってしまう。身体が重くなってしまう。
いけない傾向だ。知らない街を歩くのが好きなのにね。
冬だからかな、寒さが人の気持ちの温度を奪っていくというか。
それでも暖かくなってきたら旅行いく。
旅行に行けるうちが花なんだろう。
カメラをもって近所を散歩。
見慣れた景色をファインダーから覗き、切り取る。
帰ってきてから洗濯機を回し、その待ち時間で撮った写真を見たり、ネットしたり、ぼけーっとしたりしてた。
家族がいる家は土曜日とあって賑やかなんだろう。
同棲中のカップルはお互いが休みかもしれないし、どちらかが仕事でいないかもしれない。家人が帰ってくるのを待ちわびている残された側。
私のように、部屋で一人、エアポケットのような時間を過ごしている人もいるだろう。
今年の目標。
ぼんやりとしたものはあるけど、まだToDoリストにはしてない。
何を選んで、何を選ばないか。行動し、実践する。そうでありたい…。
恥をかいて失うものなんて、最初から無い。
録画しておいた「歌舞伎町で生きる」という26歳・女性のドキュメンタリーを見る。
この女性と同じ歳の時、当時の職場が閉鎖になったのはひとつのターニングポイントだった。
薄々「終わり」を感じながらも、今いる世界が不変だと思っていた。
当時は、一般社会の常識を今以上に知らなすぎた。
どれくらいだったかというと、「離職票」をそのとき初めて知ったくらい。
ただ、選ぶことができない家庭環境や周囲の人との縁もある。
都市部で芸術や文化、人のエネルギー、行政サービスを身近に感じながら育つのか、あるいは僻地で育つのかによって、だいぶ分かれるところだとは思う。
(人がセーフティーネットの編み目からこぼれ落ちるとき、「3つの無縁」からなると聞いたことがある)
そして、サラリーマンの家庭の子は、大体サラリーマンになるのではないだろうか。
(厳密にいうと、賃労働者)
日が傾いていく。
大人の時間になっていくね。
うへへ。