クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる三十路のしょーもない賃労働者の日々の記録です。他愛もないことばかりですが、少しずつでも続けていけたら。

どんな風になっていくのか

たまにふっと思うときがある。

どんな風に年を取っていくんだろう、と。
もう、新人でも無いし、
年相応のものも持っていないといけない。

そんなもん、もってないよ。
冠婚葬祭の知識とか、
人より著しく低いぜ。

なぜなら、一般的な家庭で、
周囲の人にめぐまれ、
すくすく育ってきた人は
自然と人との繋がりができるだろう。
つくり方も自然なものなんだろう。
そこで小さい頃からもまれ、
経験値を蓄えてきたのだろう。

こちとら、
周囲と人間関係を築く能力に欠け、
(親もそうだった。親も人付き合いを
 好まず、世の新しいことに消極的で、
 柔軟性にかけ、自分の世界を大切にした。
 カエルの子はカエルなのだ。
 俺はいるだけで、虚仮にされ、
 見くびられる側の人間だ。
 同じ人間なのに。くそが。
 ただ健康な身体で生んでくれて、
 感謝だ。)

同世代なら当たり前にある、
人との繋がりも希薄だ。
低い階級の人間とは、
できるなら仕事以外では
誰も接したくないからな。
そして、高いステージにいる人間は、 
そのステージ同士で付き合い、
低い階級の人間はあがき、
あがき疲れ、あがき方を忘れ
見えない格差に引き裂かれていく。

人間のつながりのセーフティネットがない人間は、たくさんいる。
こっちが関係を築こうと歩み寄っても、
無下にされ、見下され、虚仮にされた人達だ。

俺とお前らのどこが違う。

もし、今の仕事を辞めたら、
今の条件の職には、ありつけないだろう。
俺は人とのネットワーク、日本社会の
年相応の知識経験が著しく薄い。


社畜は、淡々と働くしかない。
孤独を日常の静かな怒りに変えて。

寝る。