クロスケ日記 105日の日々

どこにでもいる弱小会社員の日々の記録。他愛もないことを綴っています。

ベタかもしれないが

最近眠る前に聴いている曲がある。
ほとんどテレビを見ない生活をしているせいか、世間の流行り廃りにとても疎い。

米津玄師の「灰色と青」。
これが中々良い。

当人は今、めちゃくちゃ売れっ子なのだろうが、それがどれほどのものなのかは、俺は知らない。
万人受けするキャッチーな歌詞やメロディーというものがあるのだろうか。売り出し方が上手いのだろうか。
その辺の音楽事情はまるっきり門外漢である。

それでも歌詞が今の自分の感性に引っかかった。

「どれだけ無様に傷つこうとも
 終わらない毎日に花束を」

オッサンには効くよ…。


そして、もしかしたら前にブログで描いたかもしないが石田衣良の「余命1年のスタリオン」という小説が中々良い。内容は良くある「お涙ちょうだいもの」かもしれないが。
今、眠る前に軽く流し読みしている。



「これまでに出会った人が、ひとりでも欠けていれば、今あるような自分にはならなかっただろう。」



オッサンはもう寝る。

東京カレンダーをめくりつつ

仕事帰りにコンビニに立ち寄ると東京カレンダーという雑誌が視界に入った。

無意識のうちに手に取ってパラパラと頁をめくってみた。

 

大人は白金の夜に導かれるらしい。

できる大人は休日に着るコートにお金をかけるらしい。

知るかー!!!!!!!。

都会の隠れ家のようなお店で港区女子と、一流の板前さんが作る小料理に舌鼓を打つことは俺の人生では皆無である。

日本の労働者の大多数は、こんな夜とは無縁だろう。

こんな田舎のコンビニに置いたって誰がみるのだろう。

明らかに場所とターゲットを間違えてるよ。

何ともいえない侘しさが漂ってくる。

そう感じつつエロ本コーナーで月曜日の疲れを少しだけ緩和する。

 

田舎者にとって、実家の飯に勝るものはないだろう。

めちゃめちゃうまいんだよな~。新米最高。野菜もうまい。味付けも最高。

盆正月くらいしか食べられないが。

 

もう今年も残り2ヵ月程度。

毎年思うが、歳だけ積み重ねているような気がする。

よし。

 

 

 

…彼女ほしいよ。

寝る。

23時半の人

たまに聴いているラジオ番組から流れてくるコーナー、「23時半の人」。

リポーターがその時間に街を出歩いている人間を捕まえて、今何してるんですか?と質問する。
これがなかなか面白い。

さっきまで同僚と飲んでましたという女性たち。
べしゃり上手なタクシー運転手。
出版関係の若手サラリーマン。


こういう、全く知らない誰かの物語を聴いている時って、海を見ながらゆったりと風に吹かれている時と似ている感じがする。

この人たちと、俺の人生が交わる事は、ない。
それでも共感したり、お互いいろいろありますよね、と勝手に思っていたりしている。
単純な性格なんだよな。


この前、レンズのフィルターを購入。
偏光フィルターである。使いこなせるといいなぁ。
は、これで外出する用事が出来た。
秋空でも撮るぞ。


世間はハロウィンなのだろう。
渋谷は大騒ぎだね。
しかし地方都市にハロウィンの喧騒なんてない。
無論、俺はハロウィンの浮かれた様子とは無縁だ。
いや、リア充はコスプレしあってイチャイチャしてるかもしれんが。

1週間が始まる。
少しでも変化を。

ここは退屈迎えに来て

映画「ここは退屈迎えに来て」を鑑賞。

原作は読了済み。ノスタルジックないい映画だった。

作中の登場人物と世代がほぼ同じな為(年齢がばれる)、感情移入したり「あーわかるわかる」と自分の中の思い出と照らし合わせたりして、もんどりうっていた。

mixi全盛期、あったなぁ。

ガラケーの、メールを受信した時のランプの明滅。思い出すだけでも消えたくなる黒歴史。地元に残った人間。地元を出て行った人間。女の子と会話できなかったこと。相手を内心見下していたり、見下されていたりしたこと。

何物にもなれなかった自分。その他大勢でしかなかった自分。

自分だけはいつか花開くと思っていた20代前半。

 

 

若さにしがみつくつもりはない(時々うらやましいが(泣))。

でも数少ないが、忘れられない夜もある。飲み会もある。景色がある。思い出の中の情景がある。それがあるだけでもまだ恵まれている方なんだ。

人生は、青春が終わってからが長いのだ(人間の生ってなんて残酷)。

そこからどうしのいでいくかが肝心なのだ。

 

 

と、自分に言い聞かせながら。

門脇麦、かわいいな。

ちくしょう…。

原作もおすすめ。

 

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

学習性無力感との戦い

学習性無力感という言葉がある。
人は回避困難な状態に置かれ続けると、なにをやっても上手くいきっこないと学習し、行動や努力を放棄してしまうという。
魚の実験が有名じゃなかったっけ?


非モテ男もしかり。
物心着く頃から始まり、学生時代、社会人と経て、あまりにも女性に相手にされない絶望にさらされ続け、学習してしまった絶望。
卑屈になり、ことあるごとに卑下してしまう。
仮に目の前に良い縁になりそうな女性が現れても「いや俺みたいな男を女性が相手にする訳がない。これきっと何かの罠だ。人を貶める策略だ」と相手を神格化し、生身の人間として接しない。

「どうせ俺なんて」という見えない壁に遮られ、次の一手が打てない。

非モテ男は学習性無力感との戦いでもあると思う。

帰宅して、つい思いついてみたからブログに書いてみた。

ま、無力感を乗り越えても、異性に相手にされない男は、ほんっとに相手にされんけど!
金持ちでも何でもない男が相手にされる訳がない。




あ、これが学習性無力感つて奴か。

寝る。